こういう女はやめとけ No!男性差別
旧「間違いだらけの男女関係−で、お前は何をしてくれるんだ?」。男性にはパートナー選びに失敗しないための指針書として。女性には男心を知るためのモテマニュアルとして。こういう女(になるの)はやめとけ!
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ひどい・・・。
正直、ここまで女に都合のいい、男性虐待的な内容だとは思わなかった。想像をはるかに超えていた。
あまりに突っ込み所満載で、最後まで読むのに時間がかかってしまった。

読んだ本は「この人と結婚するために」(秋元康訳、三笠書房)、「だからあなたは今でもひとり」(前沢敬子訳、小学館)、「この愛を大切に育てたいから」(秋元康監訳、三笠書房)

グレイが提唱する、男にだけタスクを強い、女にこのような男からのサービスを期待していいと説く片務的な、きわめて女に都合のいい男女関係は、少なくとも男女平等、ギブ・アンド・テイクの関係からは大きく逸脱している。

「この人と結婚するために」2章副題の「恋はいつでもギブ・アンド・テイクの要領で」(P.56)が悪い冗談にしか思えない。

グレイの想定する男女像は、あまりに女に都合がよすぎる。なので現実には、この本でいう「男はこういうものだ」という記述に当てはまらない男にしばしば遭遇するだろう。「そういう男はベストパートナーになりえない」とでもいうつもりだろうか。

「恋愛・結婚がうまくいく」の定義が、男どれだけの負担がかかっているか、負担に見合った返礼を男が受けているか、あるいは、男が関係に満足しているかどうかを一切無視し、ただ女の欲求が満たされる恋愛、ということであれば、この本のとおりで恋愛は「うまくいく」だろう。しかし、その女から見て「うまくいく」関係は著しく男女不平等でり、男を虐げる。

「この人と結婚するために」によると、結婚するためのデートには5つのステージがあるという。

第一ステージ、ひかれ合う 二、心が揺れる 三、相手をひとりに決める 四、親密な関係になる 五、プロポーズと婚約


 誘い−トリガー役

「だれだって関心を持たれるのが好き。たとえはじめは魅力を感じない男性であっても、自分に関心を持ってくれれば、興味がわいてきます。(中略)彼のことを気遣う必要がなく、ただ彼が彼女に関心を持っているという事実を楽しむだけでいい。女心をさらに魅了するのは、こういう時なのです(「この人と結婚するために」P.59)」
だから何?男が積極的に関係開始のトリガー役のコストを支払えと?
誰だって関心を持たれるのが好き。それはその通りだ。つまり、男だって関心を持たれるのは好きなのである。女だって積極的に男にアプローチすればいいじゃないか。
それに、男に気遣うのが嫌とはどういう事か。アプローチしてくる男は女に気を遣っているのだが。そりゃ、相手に対して気配りなしでただサービスを受けられ、それに対する返礼の義務がゼロなら、こんなにいいことはない。男だってできればそうしたい。もちろん、「こういう時」にはギブ・アンド・テイクなんてどこかに吹き飛んでしまっている。男はギブのみ、女はテイクのみの状態である。


 女はして欲しいけどしてあげるのは嫌−ダブルスタンダード

気遣いの話は続く。
「女性が「デリケートな」男性と付きあい始めると、相手の繊細すぎるところに不満感をもつようになる。(中略)母親のように世話をやき、はれものにさわるように扱わなければらない。あまりに頼られすぎるので、うんざりしてしまうのだ。」(「だからあなたは今でもひとり」P.166)しかし女は男にこのような細やかな気遣いを求めているわけである。自分がして欲しい、要求していることを相手に求められると嫌になる、こんな勝手なことがあるだろうか。
「この愛を大切に育てたいから」にも「女性は繊細すぎる男性は苦手」とある。(P.78)
そのくせ男には「ケーキに粉砂糖をふりかけるような気遣い」(P.84)を求める。

繊細な男にはうんざりするから気を遣いたくない、疲れるから、というなら別にそれでもかまわない。しかしだとしたら、男に気遣ってもらうことも諦めなければならない。これがギブ・アンド・テイクである。

もし「女は女らしく男に頼り・甘え、男は男らしく女を支える。繊細さは男らしさではない。」という者がいたら、再度「らしさ」について整理してみてほしい。(詳しくはリンク先「男女問題研究所」にある拙稿「恋愛における男女不平等とその原因」参照)

男に頼り・甘えるのは、男から見て負の女らしさである。負の女(男)らしさは男(女)にとってコストであり、女(男)にとってベネフィットである。他方、強く繊細すぎず女に負担をかけない、というのは正の男らしさであり、女にベネフイットをもたらすと同時に、男にとってはコストとなる。
この場面では、負の男らしさは細やかな気配りができず女の心のケアができないことであり、正の女らしさは男の心の傷を癒してやることである。
グレイはこの本で、女は正の女らしさ(女のコスト)は放棄していいが、負の女らしさ(女のベネフィット)は存分に発揮して男に要求していい、と言っているのだ。こんな不公平な話はない。

であるので「だからあなたは今でもひとり」P.166の「男性は繊細であってもかまわないが、強くなる必要がある。相手の女性が自分を必要とするときには、自分自身の感情を脇に置いてでも彼女を助けようとしなければならない。夫は自分が男らしくなりさえすれば、相手のほうも女性らしい気持ちになれることに気づくだろう。(中略)「女性らしくいたい」と感じる気持ちが必要になる。(中略)大切に思ってくれるうえに、話を聞いてくれて、苦労を理解してくる誰かが必要なのだ」がくだらない詭弁であることがわかる。一見ギブ・アンド・テイクが成り立っているようだが、それは負の女らしさと正の男らしさのコンビであり、ただ男がギブして、女がテイクしているだけなのだ。

現代の男女問題の根幹は、女が慈愛・服従などの女にコストを強いる(男のベネフィットとなる)女らしさ・女役割から解放されている一方、責任・負担・危険の回避や保護といった女のベネフィット・特権である(男のコストとなる)女らしさ・女役割だけは未だに保持しているところにある。実際、今起こっているほとんどの男女問題・男性差別はこの構造で説明できる。
恋愛も例外ではない。むしろ恋愛こそこの醜い構造が顕著な分野である。なぜなら、男のコストはすべて感情ワークとして認識され、つまり相手が好きだから自発的に男役割を担っているとされ、好きでやっているのだからそれをコストとして見返りを求めることは許されないからである。

女は、こんなメチャクチャな要求が認められるはずがないことを知るべきである。
何かが欲しければ、何かを与えなさい。簡単なルールである。

 問題は、グレイがこの結論に至った過程である。要は、女が文句を言うから女が満足するように男が変われ、と言っているだけなのだ。男の意向は全く反映されていない。女が男に何か望むときは(逆もそうだが)、それが相手にとってどれだけ負担になるのか、それを要求するに値するだけのことを相手に対してしてあげているのか、つまりギブ・アンド・テイクを考えなければならない。女だからといって、一方的に男に頼り、甘え、要求していればいいというものではない。
 女の要求だけ無批判に聞き入れ、それをそのまま男に要求するように女にアドバイスしてるのなら、単なる女の太鼓持ちである。ある意味女から人気が出て、本が売れるのは当然だ。

対照的に、グレイは、なぜは男に対しては厳格なギブ・アンド・テイクを説く。「相手に何を期待できるかは、相手の問題というよりも、自分が相手に何を与えられるかによって決まる」(「だからあなたは今でもひとり」P.229)
同じことを、女も言ってやれ。強ーく言ってやれ。

かと思ったら、男が与える立場になると、女のためにベストを尽くせという。
「だからあなたは今でもひとり」P.237では、何か女にサービスするのではなく、自分の人間性によって愛されようとする男を批判している。力の出し惜しみをせずに、できる限り努力し、できる限りのものを与える覚悟がなければならないのだそうだ。これはP.183で、離婚後、子どもの存在のために新しい出会いを我慢している女に対し「子どもがより多くを望めば、親は適切な限界を設定しなければならない。親は子どものために、自分の欲求を犠牲にしないようにする必要がある。」と言っているのとは対照的である。グレイはどこまでも女に甘く、男に厳しい。
母親が子への愛を制限するのはいいが、男は女への愛をセーブするな、と言っているのである。
そりゃ、女から人気が出るわ。


 レストラン代

たとえば、高級レストランでコースを食したとしよう。味は最高だった。満足したあなたは、満面の笑みを浮かべ、シェフをはじめ挨拶できる店員すべてに素晴らしい食事を提供してくれたことに感謝の意を伝えたとする。さて、これでその格別のディナーの代金を支払ったことと同義になるだろうか。言い方を変えると、「おいしかった。ごちそうさま」の言葉さえかければ、レストラン側は「お客さまの笑顔が私たちの喜びです」とタダにしてくれるだろうか。

何かしてもらったときに感謝の意を述べる。こういう心のやりとりは人間関係において大切なことだ。しかし、モノやサービス(行為)への返礼はあくまでモノやサービスで行わなければ、ギブ・アンド・テイクがなされているとはいえない。

「男性からのアプローチを受け入れ、彼の努力に感謝した後は、もう彼に対して何の借りもないのです。というのは、彼がもっとも欲しいもの、すなわち、彼女を知り、喜んでもらい、つながりができる、そうしたチャンスをすでに与えているからです。女性は、彼にとって特別な存在であるということを忘れてはなりません。その彼女と一緒にいられる機会を持つ、それが男性の喜びなのです。」(「この人と結婚するために」P.64)

男にとって、アプローチした女と会えることこそ喜びであり、既に女は男に与えている、これは正しい。ただし問題は、女だって、アプローチしてきた男とデートできることで、その男から与えられているということだ。その女にとっても男と会えるのが喜びだからこそデートが成立するのであって、嫌なら女は断っている。男からアプローチしたのはあくまで役割分担であって、別に女が頼まれたから男「だけ」の利益のために(本当は嫌なのに)デートに「応じてやった」わけではないのだ。そこに上下関係が発生するのは本来おかしい。女は、その男と会うことに何かしらの利益や効用を感じたからこそ誘いにOKしたのである。

つまり、誘いに応じた時点で、女が男にデートの機会をギブしてやったと同時に、男からデートの機会をテイクした(男は女にギブしてやった)のである。この時点で貸し借りはゼロである。
 なので、以下のようなアイディアは「間違い」である。

「男性のプレゼントを受け入れたところで、女性はすでに男性にプレゼントをしたことになるのです」(「この人と結婚するために」P.222)
「男性が女性に食事をおごるのも、彼が彼女より稼ぎがいいとか、彼女に支払い能力がないからではありません。それが男の喜びなのです。」(「この人と結婚するために」P.221)
男がそんなに都合のいい生き物なわけないだろ?

テーマ:私の主張 - ジャンル:恋愛

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